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福田健二 

FUKUDA KENJI


当時、小学五年生だった彼は朝から違和感を感じていた。いつも窓を開けて手を振ることなどない母親が、自分の姿が見えなくなるまで手を振っている。胸騒ぎを覚えたが、それは少年特有の恥ずかしさにすり変わった。

「母ちゃん、もういいよ。恥ずかしいから」

そして2時限目に校長先生に呼び出される。

「お母さんが怪我をした」と。

この時何が起きたかはわからなかったが恐ろしい事が起こったと感じたそうです。

「母ちゃんに会わせろ!オレが生き返らせてやる!」

だが、遺体を拝むことはできなかった。母はビルの屋上に上がり、自らガソリンをかぶって火を放ち、そのまま飛び降りた。生活苦からの自殺だったようです。

当時小学五年生の福田にたった三行の遺書が残されていた。


好きなサッカーで
世界に胸を張れる
選手になってください


その日から、彼はサッカーを通じて人生を自問自答しながら歩んでいくことになる。朝起きてから夜寝るまで、彼はサッカーを意識して生活する。そうでないと、自分がダメになる気がするのだ。たった三行だったからこそ、彼はそこにある意味をすべて汲み取ろうと躍起になった。

そして福田は今でも母を思う。
「なんで母ちゃんはオレにサッカーのことしか伝えなかったのか、今も聞いてみたい。けど、自分の中にある情熱を誰よりも早く、優しく見抜いていた人だったのかなとも思います。サッカーがあるからこそ自分がある、だからなあなあには出来ない。オレはそう言うふうに考えるようになりました。サッカーで全てがつながっているんです」

母の優しい声で、遺書の意味を聞かせて欲しいと願う。それは叶わないと言うことを彼は知っているから、「好きな人がいて、楽しくやっているのが一番の母ちゃんの幸せなのよ」と子供の頃に言われた言葉を反芻する。そして、「今の自分を見てきっと喜んでくれるはず」と自分に言い聞かせる。

彼は母が自殺してしまった後、離婚した父親に引き取られ千葉へ転居した後も、金銭的な問題からサッカーを諦めかけたが、廣山ら友人たちの助けもあって中学でもサッカーを続け、ユース年代で頭角を現す。中学卒業時にはサッカーのためにブラジルへの移住を考えるなど、当時から海外志向は強かった。

そしてついに海外を渡り歩いてきた「福田健二」が日本に帰って来ます。愛媛FCという新たなチームで暴れてもらいたいです!


ちなみにヌマンシア入団後しばらく福田はヌマンシアサポーターに批判的な目で見られていた。これは2004-05シーズンに同チームに所属した韓国人FW李天秀が15試合出場も0得点と全くの期待外れで「なぜまた使えないアジア人を獲るんだ」と思われていた為である。しかし福田はゴールという結果を出し続け次第にヌマンシアサポーターに愛される選手となった。

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信じるか信じないかはあなた次第です(`・ω・´)

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  • [2009/11/09 20:19]
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