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ビスマルク・バレット・ファリア 

倉持隆夫さんの「スペイン人は心から日本を応援してくれた!」より

宮城は雨だったね。悪い予感がしたんだ。日本代表が欧州遠征に来た、4月のレアル・マド゜リッド戦の時も雨だった。この時、日本は思うように、ボールが出せずに、1対0で完敗した。それも2軍を相手に・・・・・。

我が家には衛星デジタル放送の受信機がないので、今朝は朝8時15分に家を出て、近くのフラヘッテイ・9のバルへ足を運んだ。この店は大型テレビで衛星放送を見せてくれるんだ。スペイン戦の時にはフットボール・ファンでぎゅうぎゅう詰めになるが、今朝はカウンターに座ることができた。でも、すでに、左半分のカウンターはターキー(トルコ)の人でいっぱいだった。僕は右側のカウンターに座り、カフェ・コン・レチェ(ミルクいっぱいのコーヒー)を注文した。日本人は僕ひとり。

8時30分、試合が始まった。どっと、お客さんが入ってきた。紛れもなく、スペイン人だ。皆んな僕の周りに集まってくれた。

「ハポンの応援に来たよ」「ハポンは今日も勝つぜ」「俺はハポンが好きだ」僕は本当に嬉しかった。

バルで「ニッポン!ニッポン!」の大合唱

前半、トルコが1点先制。いつもは比較的おだやかなトルコ人たちが大歓声を上げた。僕らは頭を抱えた。

「まだ、時間はたつぷりあるよ」
「心配ないぜ、これからだよ」

スペイン人たちは余裕たっぷりで、僕をなだめてくれた。僕は心の中で、叫んだ。「雨よ、止んでくれ、青空で暗雲を取り去ってくれ!」と。何故なら、4月のレアル・マドリッド戦では降りしきる雨で日本代表は戦意を喪失した感じを否めなかったからだ。

後半の20分過ぎ、突然、スペイン人達が立ち上がった。そして「ハポン!ハポン!」の連呼。いつのまにか、スペイン人の日本応援団が30人程に増えている。連呼は大合唱に変わった。僕も立ち上がった。僕は叫び続けた。「ニッポン、がんばれ、ニッポン、がんばれ!」と。思わず日本語で叫び続けた。

そうしたら、嬉しいじやないか、スペイン人応援団が「ニッポン!ニッポン!」と日本語で一緒に叫び続けてくれたんだ。

「日本!日本!」の大合唱は試合終了まで続いたよ。

日本は負けた。でも一生懸命やったよ。世界の16位だぜ。フランスもアルゼンチンも予選で敗退したじゃないか。サッカー大国のスペイン人が母国以外の応援をするなんて信じられないことなんだ。スペインが世界一と思っているからね。

でも、ここにいる30人のスペイン人は日本の実力を認めてくれたんだよ。僕は思わず、隣にいるスペイン人の厚い胸に顔を埋め、こらえきれずに泣いてしまった。

日本からの留学生に元気を与えてくれた

2時間後、僕はいつもの通り、日本のフラメンコ留学生達がレッスンの後に一息入れる、トリアナのバル・ソナンタに出向いた。日本の活躍が彼女達にどれだけ勇気とやる気を喚起したことか。孤独感に襲われながらも、ひたすら「上手くなりたい」の一心で辛い練習に耐える留学生達。その彼女達に日本のサツカーが元気を与えてくれたんだよ。

「負けたよ」と告げると、彼女達は一瞬、下を向いたが、留学生の斎藤恵子さんがポツリと言ったよ。

「フラメンコもサッカーも上には上があるのね」と。

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  • [2009/12/27 20:02]
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イタリア人ジャーナリストPart2 

イタリア人記者、フランコ・ロッシさんのコラムからです。

ベガルタ仙台対柏レイソルで考えたこと。日本のファンは世界一です。

1966年1月、僕はサッカーの試合を、初めて、ジャーナリストとして観戦しました。イタリアの国内リーグ選手権、カンピオナートでのユベントスとインテルの試合でした。

トリノの日刊スポーツ紙「トゥットスポルト」に就職してまもない時期でした。僕は「記者」として、選手、とりわけ主役たちや監督などの試合後の言葉を取材するために、競技場に行ったのです。

この「任務」は、僕にとって感動的でした。だって長いこと夢見ていたジャーナリストになれたんですよ。あまりに美しい夢かなと思っていたのに、実現したんです。ドキドキわくわくの僕は、当時まだ21才を迎えたばかりの若さでした。

その午後が遠く遠くに思えるほどの歳月がすぎ、僕はジャーナリストとして世界各国をまわり、山ほども海ほどもたくさんの、いろいろな試合を見てきました。ところがなんということか、日本のリーグ選手権J1の試合だけは見た事がなかったのでした。

ヨーロッパをマネしちゃ、だめですよ!

このすっぽ抜けていた部分を埋めてくださったのは、仙台市長さんでした。仙台でバカンスを過ごしている僕を、8月2日土曜日のベガルタ仙台対柏レイソル戦に誘ってくださったのです。(トンマージからのお土産を養護学校に持ってきたことへのごほうびかな?)←トンマージの以前の記事の話

日本ではトヨタ・カップ決勝戦や2002年W杯での試合の数々は観戦していたのですが、このJ1の試合の初観戦は、僕にとって特別な、今までとは異なる体験となりました。

日本ではサッカーは、まだまだ市民権を得るための途上にありますね。なにか確固たるアイデンティティーが欲しいところですが、ヨーロッパをお手本にすることが多いように見えます。

でも、ちょっと待ってください、サッカーに関しての全部が全部をヨーロッパに真似てしまうと、良からぬことまで仕入れてしまう危険があります。これは本当に危険です。危険ちゅうの危険です。(と、断言してしまいます)

実はいま、ヨーロッパでは、もちろんイタリアでも、サッカーは、競技場での安全性が崩れるという危機的状況にさしかかっているのです。サッカー競技場のある街では、試合が始まる時刻になると女性や子供、つまり家族連れは競技場以外の場所に移動しはじめます。なるべく競技場から離れろ、というわけです。

なぜ?試合がある時刻のサッカー競技場は危険だからです。

ミラノのサン・シーロ競技場、ローマのオリンピコ競技場、トリノのデッレ・アルピ競技場など、イタリア・サッカーの主役クラスの試合がおこなわれる有名な競技場ほど危ないのです。暴力沙汰が当たり前のようになってしまったのです。

最近にも、セリエAの何試合かが、乱闘のために中止になりました。コモとトリノでは、どちらもサッカー競技場がありますが、試合するどころではない騒ぎでした。この騒ぎで出たけが人は数百人におよびました。

いいですか、これを真似てはいけないのです。本場でもああなんだから、と同じように自分たちもふるまうのは、絶対にしてはならないことですよ。

さきほども書きましたが、僕はトヨタ・カップ決勝戦も見ているし、2002年W杯では東京、埼玉、札幌、大分、など日本の各地で観戦しています。そして、どこの競技場でも僕がいちばん好感をもち、素晴らしいと感動したのはサポーターの皆さんの、冷静沈着で礼儀正しく公正な観戦態度なのです。

びっくりしたと同時に、これは「よそ行きの態度」かと思ったほどです。国際的なイベントだし、海外からの観戦者もおおく来ているし、日本の印象を良くみせようと、おすまししているのかなと、ちょっと疑ってしまったのです。

ところがこの8月2日のベガルタ仙台対柏レイソル戦を見ていて、この僕の疑いがまったく的外れであるとわかりました。この優しさや折り目正しさは日本文化の一端なのだと、僕は気付きました。サッカー観戦もその延長線上から、まだ逸れていないのです。イタリアやヨーロッパでは、一般的にはまだ、日本文化のこのような精神までは知られていません。

競技場には女性たちも子供たちも来ていました。みんな行儀よく席にすわって、試合を見ていました。「ウルトラス(熱狂的なファン)」と呼ばれる人たちのスポーツ精神も見事でした。彼らは自分たちのチームをひたすら励ます声援をおくり、それ以上にやかましい乱暴な野次をとばしたり、あばれたりは決してしないのでした。

そういうわけで、37年のあいだ世界各国を観戦してまわっている経験ゆたかなジャーナリストとしての僕に、ひとことアドバイスさせてください。親愛なる日本のみなさん、サッカー観戦については僕らヨーロッパ人を真似てはいけません!!

なぜなら、あなた方がサッカーのボールを蹴るということで世界を制覇するには、まだまだ時間がかかるかもしれませんが、行儀のよさや公正さにおいては、あなた方はすでにトップの座にいるんですから。

反対に、僕らヨーロッパがあなた方、日本を見習わないといけないのです。それも早く始めないと、僕らのおろかにも盲目的な暴力が僕らのサッカーを破滅させかねません。ヨーロッパの、イタリアの、サッカーは、それくらい暴力に侵食されつつあるんです。
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  • [2009/12/15 18:53]
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スウェーデン人記者 

スウェーデンのサッカージャーナリスト兼カメラマン、ステラン・ダニエルソンさんの記事です。

『これこそ、私が求めていた日本』
日本のサッカーファンは、本当に国際的だ。スウェーデンの黄色いシャツを着た人を多く見た時、私はいい気分になった。日本人ファンが、私の国、私のチームをサポートしてくれているのを見て感動した。日本人ファンは世界で最も愛されるべきであり、歓迎されるべきだ。

しかし一つだけ問題がある。

私はカメラマンとして、違う国から来たファンの写真をとりたいのだ。どこへ行ってもいつもそうしてきたつもりだ。
しかし日本では不可能だ。たとえ私がスウェーデン人、ドイツ人、イギリス人、ブラジル人のファンの写真を撮りたくても、それ以上にプレーを見て喜んでいる素晴らしい表情をした魅力的な顔があるのだ。そう、それはみんな日本人だ。

『日本の最北端でカニを食す』
ウェイトレスはメニューを持ってきてくれたが、英語に訳すことができない。近くのテーブルにいた人に、メニューを説明してくれるように頼んでいる。男性の2人連れで、そのうちの1人は英語を話すことができた。さまざまな種類の魚の刺身、ご飯、温かいスープ、そしてカニを頼んだ。食事が運ばれるのを待っていると、一緒に食べないかと彼らは誘ってくれた。とても嬉しくて、断る理由など何もなかった。誰かと一緒に食べたかった。

彼らはエンジニアで、札幌の会社で働いているそうだ。その日は一日だけ出張で来ていた。自分がワールドカップを追いかけているフリーのカメラマンだと伝えると、若い男性の方はとても興奮していた。彼は札幌でドイツ対サウジアラビア、イタリア対エクアドルの2試合を見たそうだ。

2日続けて、私はすばらしい仲間と食事をともにすることができた。

『まえがき』
そんなわけで、私は生まれて初めて日本にやってきた。当初の滞在予定は2週間だったが、結局はなんと6週間にも及んでしまった。その訳は、日本と日本人が……あまりにも素晴らしかったからである。

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  • [2009/12/06 20:00]
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イタリア人ジャーナリスト 

イタリア人記者、フランコ・ロッシさんのコラムからです。日韓W杯前後の記事です。

さびしいけれど、お終いです。

サッカーは残酷で、度々不公平なスポーツです。まるで人生のように。そして、ワールドカップは人生におけるレッスンの1つでしかありません。 イタリアチームは既に帰国しました。アズーリの選手達は韓国に敗北し、今後何年間かはこの敗北を嘆くことになるかもしれません。
 
彼らは泣き、嘆きました。なぜなら、たとえ最も優れている選手達でも、試合に負けてしまえば、それが不当であっても、ワールドカップから退かなければならないからです。
 ヴィエリ、トッティ、デル・ピエーロ、ネスタ、カンナヴァーロ、そして他のアズーリの選手達も自分達が最高の選手であると考え、多分それは間違っていないでしょう。

アズーリのみんなは日本が大好きでした。仙台での最終合宿は完璧でした。アズーリは日本で、得たいと思っていた物(支援、サービス、声援など)の全てを得ることが出来ました。
 
トレーニングには理想的な、さわやかな気候と日本人の好意。トッティもデル・ピエーロも、日本人から優しく愛されました。韓国戦の数時間前、アズーリの選手達はテレビで、日本VSトルコの試合を観ました。みんなで中田や稲本を熱烈に応援したのです。
 
アズーリの夢は6月30日に横浜で行われる決勝で日本と戦うことでした。日本VSトルコの試合が終わったとき、アズーリの選手達はとても心が痛んだことでしょう。日本は数週間もの間、アズーリにとっては「故郷」だったわけですから、彼らの悲しみは日本に対する正直な気持ちでした。
 
アズーリは3週間日本にいて、日本人の優しい情熱はイタリア人の情熱と同じように思えたのでしょう。外国に居ながら、イタリアに居るときと変わりない居心地の良さを感じられたのですね。
 
韓国戦はとても難しいものでした。そして、おそらく、イタリアは審判の一撃で負けました。前半と後半の間のハーフタイム、イタリアが勝っていた時ですが、トラパットーニ監督は選手達に対し、自分達の目標は日本に帰ることだから、勝利が必要だということを説明しようとしました。
 
アズーリは韓国が好きではありませんでした。そして2つの目的のために日本に帰りたいと望んでいました。1つ目は、横浜で決勝戦に出るため。そして2つ目は、彼らを惚れ込ませ魅了した国にもういちど帰りたかったからでした。
 
トラパットーニ、トッティ、デル・ピエーロ、ヴィエリ、マルディーニ、そしてアズーリの選手全員が、韓国戦の敗北の悲しみと共に帰国しました。そして、日本のように大変美しい国を、自由だが礼儀作法のしっかりした国を、自分達が恋に落ちた国を後に残していく悲しみと共に帰国しました。
 
アズーリの心の中で、彼らを優しさと愛情をもって取り囲んだ全ての日本人の笑顔が、悲しい顔に変わってしまうイメージが残るかもしれません。そして飛行機に乗る前に、アズーリのみんなが思ったことでしょう。

「ニッポン、アリガトウゴザイマシタ」と。

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3 あっぱれ韓国、四面楚歌のイタリア
4 サッカーファンは許さない
5 超必見
4 2/10
3 ベストマッチ2だ!

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  • [2009/12/03 17:31]
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02年W杯のとある記者 

私はいつも日本に来る度にそのホスピタリティに感心させられていたが、今回改めて人々の優しさや責任感というものに驚いている。

あの日、私は札幌のあるカフェに入ったのだが、そこにサングラスを置き忘れてしまった。思い出したのはスタジアムに向かうシャトルバスの中。
カフェに電話しようとポケットからレシートの束を取りだしたものの、全部日本語で書かれているのでどれがカフェのものか分からない。 サングラスは安物ではないので、できれば取り戻したい。
しかし試合後に戻るのでは時間が遅いし、翌日は早朝出発。

アルゼンチン-イングランド戦を前に、ただでさえナーバスになっていたときにますます焦る要因が出来てしまったわけだ。 大切なものを忘れた自分に腹を立ててもいたのだが、プレスセンターに着くとある日本人記者が私を探していると聞かされた。

何事かと思い、それらしき記者を捜して声を掛けると、何と彼が私のサングラスを持っていた。 カフェの店員は、私のサングラスに気付いたが、すでに私はその場を去ってしまっていた。
そこで、私が記者証を持っていたことから近くのホテルのロビーでその日本人記者を捕まえて、「プレスセンターに届け、心当たりのある人に渡して貰えるように」頼んだという。

奇跡的なことに、私とその日本人記者は前日に札幌ドームで会っていた。
イングランド代表がドームを視察した際に出会った私達は、情報交換が出来るように名刺を交換したのだった。
カフェの店員が「黒髪で髭があり赤いジャケットを着た人」と言った段階で、彼にはピンときたらしい。そのお陰で私は彼からサングラスを受け取ることができたのだ。

カフェの店員の責任感、そして、自分の仕事も後回しにして千人近い記者達でごった返していたプレスセンターの中で私を探してくれた記者の優しさ。
あの日の夜、私はアルゼンチンの痛い敗戦にショックを受けたが、日本人のそうした一面に触れることが出来て、やや癒された感じがした。

日本のサッカーは確実にレベルアップしている。
真面目さと責任感あふれる日本人が、海外の強豪に学びながら今後更にサッカーを発展させていくことは絶対に間違いないだろう。 今回、日本で生まれたサッカーフィーバーが、今後も燃え続けることを祈っている。

たぶんアルゼンチンの記者だと思います。

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  • [2009/11/26 20:10]
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