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山田直輝 

水道橋博士が新幹線で出会った親切なサッカー選手より

1月1日、息子と2人旅をしている「浅草キッド」の水道橋博士が、大阪に向かう新幹線の中で親切なサッカー選手に出会った。

新幹線の中で隣り合ったその青年と水道橋博士の息子は意気投合し、ずっと楽しそうに喋りつづけ、博士が「すいませんご迷惑でかけて……」と挨拶すると、彼ははにかんだ感じで笑うのみだったという。

彼のチーム名すら全然わからないという博士が「隣合わせたサッカーのお兄さん気になる。息子曰く『オードリーのわかばやしさんににてますね、っていったら、よくいわれるっていってた』」とツイッターに書き込むと、それは山田直輝選手では、との返信が各所から。

博士が写真を見て確認したところ、やはり彼は浦和レッズの山田直輝選手だった。山田選手は、仕立ての良いスーツとスーツケース、ナイーブで礼儀正しく、人見知りっぽいのに子供とは心底楽しうに話し、携帯のストラップは赤一色だったという。

水道橋博士は「もし伝わるようなことがあれば、山田選手、本当に親切な応対、ありがとうございました。そして、こんな面白がり方をしてスイマセンでした。」と山田選手にメッセージを送っている。

ちなみに博士は、昨日のイエメン戦での怪我を心配するコメントをツイッターで書いてました。
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  • [2014/05/28 11:33]
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ラモス瑠偉 

ラモス瑠偉

ラモスの熱くていい話です。

「日の丸――。最高だ。こんなに美しい国旗、他にないよ。どんなに苦しくても、膝が痛くても、日の丸をつけていると思うと頑張れる。ほんと不思議。これまで何度もそんなことあったね。ユニフォームの日の丸。スタンドで揺れる日の丸。日の丸が目に入ると、こんなところで諦めていいのかって、また闘志が湧いてくるんだ。日の丸をつけて、君が代を聞く。最高だ。武者震いがするもの。体中にパワーがみなぎってくる。でも、日本の選手の中にはそうじゃないヤツもいる。不思議でしょうがないよ。日の丸をつけるって、国を代表するってことだよ。選ばれた選手にしか与えられないものじゃない。国を代表して戦うってスゴイことなんだよ。それを忘れているんじゃないかって思う。ワールドカップを見てみろよ。みんなあんなに必死になって戦うのは、国の代表だからだ。国を愛し、家族を愛し、仲間を愛しているからだろ。日本はそこんとこから外国に負けてる。自分のためだって?そんなの当たり前じゃない。じゃあなぜ、もっと大きいものを背負わないの?オレ、日の丸背負ってなかったら、あんなに頑張れなかったよ。ドーハの時、オレは三八歳。あのクソ暑い中で、そんなオジサンが全試合、それもほとんどフル出場。練習だって若いヤツらと同じメニューをこなしてたんだ。自分のためだけだったら、とっくに辞めてたよ。」

有名なコピペだしみなさん知ってるでしょうね。いやあ熱い。熱いです。ラモス!ここ最近の日本は国旗や国歌の重みみたいものがあきらかに軽くなっててどうでもいい的な雰囲気ですよね…こんな時ほどラモスに声を大にして叫んでもらいたいです。ちなみにまだヴェルディの指揮をしていた頃に母がリオデジャネイロの病院で心臓発作のため82歳で死去した。だがこの事を選手にも伝えず、帰国もしないで指揮を執り続けたそうです。やっぱり精神論はラモスに教育してもらう価値はありそうです。

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  • [2009/11/25 19:10]
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安田理大Part2 

安田理大


今日の鳥栖戦で10数年ぶりの再会を果たしました。

その相手は・・・

昨日のブログでもちょっと書いたけど、鳥栖のGKの室くんです。室くんとは中学2年まで一緒のマンションに住んでいました。歳は6個違いやけど、毎日、ホンマに毎日一緒に遊んでいました。

小学生の6歳差といえば体の大きさも全然違う。

室くんは大きくて、何をしても適わない、俺の中では憧れのお兄ちゃんでした。

そんな室くんはガキ大将でした。

いい事から悪い事までいろんなことを教えてもらいました。時には一緒に工事現場からエロ本をかっぱらって読み漁り。時には理由も分からないままボコボコにされて泣かされたりもしました。

でも初めて俺にサッカーを教えてくれたのも室くんでした。

でも6歳違いということもあり、いつの間にか会う機会も少なくなり、自然に、気付けば会わなくなっていました。
お母さんの話とか、周りの友達の話から、室くんが東京Vの強化指定になったという噂を聞きました。

そのときは「室くんすげぇなぁ。」とか「Jリーグで室くんがプレーしてるの見たいなぁ。」とかいう風に、俺はサッカー選手になると思っていたけど、自分と対戦とかそんな風には全然思っていませんでした。 

そして俺もガンバでプロになりました。

室くんは鳥栖に移籍して、試合にもコンスタントに出場するようになっていました。
でもJ1とJ2っていうのもあり、俺はやっぱり対戦とかっていうのは全然考えていませんでした。

10月31日、天皇杯で広島が鳥栖に負けました。

次の相手が鳥栖と分かり、俺はそのとき初めて「俺も室くんも二人ともJリーガーになってんなぁ。」と改めて実感しました。
それと同時に「10何年ぶりに会うけど気まずくないかなぁ。」とも思っていました。

そして今日、試合の時間が近付くにつれ、俺は試合への楽しみと同じくらいに室くんに会える楽しみな気持ちが大きくなっていきました。
ソワソワしながらアップ会場に行きストレッチをしていると、鳥栖のマイクに「ミチ~。」と呼ばれました。

マイクの元に小走りで走っていくと、マイクの隣に10何年ぶりに見る室くんの姿が見えました。

室くんは「みちひろ~。」と言いながら昔と変わらない笑顔で手を振ってくれていました。

そんな室くんの笑顔を見て、俺の「10何年ぶりに会うけど気まずくないかなぁ。」という気持ちは吹っ飛んでいきました。

194cmもあり、誰よりも大きいマイクの姿も見えないくらい、俺は室くんだけを見て昔のことを思い出し、弾む気持ちが抑えられませんでした。

室くんが「ミチヒロ大きなったなぁ。」とか「マイク、ミチヒロは俺の舎弟や。」とか「ミチヒロ元気やったか?」とかいろんな言葉をかけてくれて、俺はホンマに嬉しかったし感動していました。

10数年ぶりに会ったのに、室くんは室くんのままで、やっぱり俺の憧れていたガキ大将という感じでした。

アップ前なのでほんの3分くらいの時間しか喋れなかったけど、室くんと会っただけで無条件に試合へのモチベーションはいつもと違う感じで上がりました。

そしてピッチへ入場のとき、ピッチまでの30mという短い距離の中、俺と室くんはいろんなことを喋りました。

「こんなとこで再会できて試合で対戦するなんて夢みたいやなぁ。」
「昔はお前めっちゃ小さかったのに、ほんま大きなったなぁ。俺、嬉しいわ。」

昔、縦30mくらいの公園で毎日のように室くんにサッカーを教えてもらっていた。その30mが今はピッチへと続く短い距離。

そして目の前には縦100mちょっとの大きなピッチ。

あの頃からピッチは随分と大きくなった。

そして俺も大きくなり、俺も室くんもJリーガーになった。

こんなに感慨深い出来事はそうあることじゃない。

「サッカーをやっていて良かった。」

「もっと成長し、もっと大きくなる。」

「こういう日のために、こういう日があるから俺はサッカーをしてるんやなぁ。」

と思いました。

あの頃から変わらず大きいのは、俺らの夢、俺らのサッカーへの情熱。

そして、俺の永遠のガキ大将、室くんの大きさ。

以上、安田理大ブログからちょびっと修正して転載しました。いい話だなぁ(´;ω;`)

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  • [2009/11/23 17:58]
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安田理大 

安田理大

U-20カナダW杯に出場する時の話です。

30日開幕のU-20W杯(カナダ)に、日本のサイドバックとしてピッチに立つ。出発前、あえて「優勝」と公言した。母ほなみさんに最高の贈り物がしたいと、安田は固く誓う。

6年前、父辰雄さん(享年46)がくも膜下出血で急逝した。
当時中2だった安田少年は、悲しみから立ち直れない母親の姿を見た。「悲しいのはお母さんだけと違うんや。いつまでぐずぐずしてるんや」と、あえて厳しく突き放した。 中3の母の日には「僕は絶対にサッカー選手になりたい。応援して」と手紙を贈った。

母親のどんな苦労も知っている。父を失い、家計を支えなければならない。母は高校の事務で週6日働くようになった。早朝7時に自宅を出て、夕方に帰宅。名門G大阪の下部組織の練習に出かける安田に、どんなに疲れていてもおにぎりを持たせてくれた。お母さんを絶対に幸せにしてあげたいと、少年は誓った。

というレスを2ちゃんの芸スポで発見しました。どのスレかは忘れましたが、この話の真意はどうなんでしょう?ガンバサポの方教えて下さい。ちなみに兄も含め3兄弟揃ってガンバ大阪ジュニアユースの出身。生粋のガンバっ子みたいです。

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  • [2009/11/21 20:28]
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福田健二 

FUKUDA KENJI


当時、小学五年生だった彼は朝から違和感を感じていた。いつも窓を開けて手を振ることなどない母親が、自分の姿が見えなくなるまで手を振っている。胸騒ぎを覚えたが、それは少年特有の恥ずかしさにすり変わった。

「母ちゃん、もういいよ。恥ずかしいから」

そして2時限目に校長先生に呼び出される。

「お母さんが怪我をした」と。

この時何が起きたかはわからなかったが恐ろしい事が起こったと感じたそうです。

「母ちゃんに会わせろ!オレが生き返らせてやる!」

だが、遺体を拝むことはできなかった。母はビルの屋上に上がり、自らガソリンをかぶって火を放ち、そのまま飛び降りた。生活苦からの自殺だったようです。

当時小学五年生の福田にたった三行の遺書が残されていた。


好きなサッカーで
世界に胸を張れる
選手になってください


その日から、彼はサッカーを通じて人生を自問自答しながら歩んでいくことになる。朝起きてから夜寝るまで、彼はサッカーを意識して生活する。そうでないと、自分がダメになる気がするのだ。たった三行だったからこそ、彼はそこにある意味をすべて汲み取ろうと躍起になった。

そして福田は今でも母を思う。
「なんで母ちゃんはオレにサッカーのことしか伝えなかったのか、今も聞いてみたい。けど、自分の中にある情熱を誰よりも早く、優しく見抜いていた人だったのかなとも思います。サッカーがあるからこそ自分がある、だからなあなあには出来ない。オレはそう言うふうに考えるようになりました。サッカーで全てがつながっているんです」

母の優しい声で、遺書の意味を聞かせて欲しいと願う。それは叶わないと言うことを彼は知っているから、「好きな人がいて、楽しくやっているのが一番の母ちゃんの幸せなのよ」と子供の頃に言われた言葉を反芻する。そして、「今の自分を見てきっと喜んでくれるはず」と自分に言い聞かせる。

彼は母が自殺してしまった後、離婚した父親に引き取られ千葉へ転居した後も、金銭的な問題からサッカーを諦めかけたが、廣山ら友人たちの助けもあって中学でもサッカーを続け、ユース年代で頭角を現す。中学卒業時にはサッカーのためにブラジルへの移住を考えるなど、当時から海外志向は強かった。

そしてついに海外を渡り歩いてきた「福田健二」が日本に帰って来ます。愛媛FCという新たなチームで暴れてもらいたいです!


ちなみにヌマンシア入団後しばらく福田はヌマンシアサポーターに批判的な目で見られていた。これは2004-05シーズンに同チームに所属した韓国人FW李天秀が15試合出場も0得点と全くの期待外れで「なぜまた使えないアジア人を獲るんだ」と思われていた為である。しかし福田はゴールという結果を出し続け次第にヌマンシアサポーターに愛される選手となった。

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  • [2009/11/09 20:19]
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